篠田啓子のおしなごHP_ おしなごの歴史


      長野県(信州)飯田地方ではお手玉のことを「おしなご」とよびます

お手玉の歴史

日本へは奈良時代に

「お手玉」は、ギリシャ神話時代から すでによく遊ばれており、世界各地に伝承されています。

日本へは奈良時代に、インド・中国を経て 伝承されました(童具館長・和久洋介氏による)。 その時代には石名取玉(いしなとりたま)と言い、水晶を使っていたようです。

法隆寺献納宝物に「法隆寺の賓物に、いしなとりの玉あり」とあるところから、 遊具は玉であるが、「いしなとり」の名称を当て、同類の遊びであることを 物語っている。・・・・・・「童遊文化史」半澤俊郎著より

平安時代、西行法師の歌った、

いしなごの 玉の落ちくるほどなさに 過くる月日は かはりやはする
・・・・・・「聞書集」より

の、「いしなご」を「おしなご」と言うようになったのではないかと思われます。

室町時代の訶梨勒(かりろく)は、座敷の柱飾りに用いられ、 その原型の一つと思われます。




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「訶梨勒」(かりろく)
  インド・インドシナ地方に産し、薬用に用いられたと
  いうその果実に似た卵形に作り、長さ20cm、径8cm。
  白子・白綾の袋に入れて朱色の緒で吊る。
  カリロクの果実が眼病・風邪・便通に有効というので
  邪気を払う具として柱に掛けた事に始まる。

            ・・・・「広辞苑」より抜粋

江戸時代以前は、小石や貝殻などで似た遊びをしました。
(童具館長・和久洋三氏による)

小さな布袋に小豆などを入れて作ったお手玉が生まれたのは、 江戸時代になってからです。